40年を迎えました

紅葉の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、菅原進学教室は2023年7月26日に40年を迎えました。偏に皆様の当塾への信頼とご支援の賜物だと感謝しております。
節目の度に思い出すことは「トタン屋根」で、「雨漏りのする」・「空調がなく」、真夏では「扇風機一つ」で、また真冬では「石油ストーブに薬缶の煙」と「隙間風の寒さ」を感じながら「鉛筆が転がる机の上」で、定期試験対策では、午後10時に中学3年生が集まり、深夜遅くまで熱心に勉強をし、女の子は一人ひとりを自宅まで送っていったことなど、懸命に努力する生徒たちの様子が脳裏に浮かびます。

当塾は「できない子、がんばれ!」が理念でした。ですから、子供たちは毎日通塾していました。しかし、懸命に努力して、英語が「4」になり他の教科は全て「3」であっても、公立や私立の高校に合格することは難しく、進路先が専門学校、定時制、中学浪人となる生徒も多く、まさに「十五の春を泣かせるな!」という時代でした。

当塾の出発点は、このような受験戦争といわれる時代でしたので、保護者の方々も、子供たちも、顔の表情はまさしく険しく、そこで少しでも授業中に笑顔が見られればということで、「わかる喜びを…、そして、楽しさを…!」という指導方針であるキャッチフレーズが生まれました。せめて、塾で学んでいるときぐらい、教科書の内容が分かり、学校でも充実した毎日を送らせたいという一心でした。そして、最盛期には150名を超える生徒が熱心に勉強していました。

その後、当塾はバブル崩壊やメインバンクの破綻、さらに大きな出来事として偏差値廃止、それに伴う学力低下、そして少子化など、40年もよくここまで生き残ってきたという思いです。まだまだ思いは次から次へと尽きませんが、当塾はこれから先の50年に向けての課題が山積しています。今後は、経験をしたことがない少子化に突入し、学習塾全体の存続が難しくなっていきます。さらに、2極化から深刻な貧困の時代を迎えるとされています。このことは、子供たちをしっかり育てなければ悲しい結果になるということです。

そのためにも、当塾は民設民営の教育機関を創設し、この地域から子供たちが明るい将来を導けるようにしたいと考えております。皆様には戯言と聞こえるかと思いますが、当塾は少しずつその道を歩み始めています。
地域の教育力が良くなるということは、地域の皆様が豊かになるということです。当塾はその一助として、誠心誠意尽くすことが唯一無二だと考えます。今後も老骨に鞭打つことになりますが、温かく見守っていただければ幸いです。

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